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白い紫陽花 [独り言]

 家に入る路地に真っ白な紫陽花が咲きました。キレイです。紫陽花は花言葉が移り気だそうです。でも塀に沿って咲いているこの白い紫陽花は、まるで孤高の人みたいに真っ直ぐ立っている。種をまいた人の思いのようです。五十歳も迎えずに難病で亡くなられた方の奥様が「主人が好きだったの」と蒔かれた白い紫陽花が今年咲いたのです。お元気で時折ピアノを弾きながら歌ったり、お庭で部下の人達と食事をしながら大きな声で笑ってらした方が治療法も無い難病だったなんて想像もしませんでした。その人の三回忌に蒔かれた紫陽花が咲いたのです。咲きました。と微笑まれた奥様の想いがジーンときました。キレイねと返事をして一緒に暫く眺めました。あまり老いる前に亡くなった夫に私は何を手向けただろう。思いは自分だけで過ごしてきたけれど、この白い紫陽花が色々考えさせてくれました。まだお若い奥様がとても優しく見えました。人は表面の姿より内面の優しさに本当は惹かれるんですね。優しくそして強くいたいものです。

彌 叡
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忘れない一言 [独り言]

 沢山の人との出会いが有って話をしたり聞いたりする。でも長い間には忘れる会話も多いけど、案外短い言葉が頭に残っている。幼い頃、姉達に比べ鼻が低い私が、母にそれを訴えると母は「ミーちゃんの眉毛は一番キレイね」と微笑んだ。成人してからもあの時の言葉を思い出します。母の困ったような顔と声がもう昔昔のことなのに、何だかクスリと笑ってしまう。そして胸が温かくなります。それとは真反対の言葉も中々消えない。敵意に満ちた声は一生耳から消えない。どんないきさつがあったにせよ。他人事ながら私には折々その人の印象として思い出すひと言です。自分が言った言葉がどんな響きを与えるのか、常に心に留めるのは社会人の常識だし性格や自分が育った環境まで露呈する場合も有るから気をつけましょう。勿論自分も含めます。

彌 叡
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ワクチン接種 [心と身体]

 成晃の助力で接種予約をしました。先の余り長くない身ゆえ、気を付ければワクチン接種は良いかなと思っていたけれど、まあ国の政策だし、万万一の場合も有るかも知れないと思い出して接種を決めました。皆様ご存知のように音楽教室、独り旅、お散歩と3日に1度は外歩きをしている自分なので感染しませんと断言も出来ませんから。昔の事を思い出しました。第二次大戦中は政府の指示でテイーンエイジャーまでも学徒動員に駆り出されたり日章旗を持って戦争に出征する青年を送ったり…みな国の指示だった。今回の世界的なワクチン接種は意味が全然違うけれど、国民は素直に国の方針に従っているのだから、賢明な選択で指示して欲しいと思う。6月と7月接種です。

彌 叡
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五月晴れ [独り言]

 久し振りで晴れた朝、雨戸を開けるのも傘が要らない。雨のせいで雑草の成長が凄いので庭に出るのは長靴が欲しいくらいですが今日は楽。人間は単純です。カラッと蒼い空を見るとそれだけで機嫌が良くなる。「ウワー、快晴!」と喜ぶ私は幸せと言うのかしら。今日は真剣に学ぶ人の集まり、皆さんの明るい顔に会えるのが楽しみです。皆が仲良くて優しくて、そして真面目で、とても良い一日です。コロナ災禍の中だけれど笑い声が溢れる一日になります。この空気が良いですね。五月晴れです。

彌 叡
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難病 [心と身体]

 難病と言われる物は幾つもあると聞きます。筋ジストロフィーもその一つ、特効薬が無くて治癒不能と言われ、何と無惨な病気だろうと思っていました。ニュースでアイピーエス創薬で可能性が有るという治験結果が出たとの記事を見て嬉しくなりました。夫の大学後輩で活躍していた医師が筋ジストロフィーに罹患して悩んで居たのを見ていたし、ご近所の元気なご主人が若くして亡くなられたのを言葉も出ない思いだったから、他人事とは言え嬉しいニュースです。学者の研究って何がどうしてどうなるのと全然解らないけれど少しでも結果が見えるとホッとします。私達も様々な恩恵に浴して居るのでしょう。もう少し発見が早ければ、あの人もこの人もまだお元気でいらしたかも等と詮無いことを思うけど研究者ご自身が一番思っていられる事ですね。希望が見えるって素晴らしいと思います。それにしてもアイピーエス細胞は凄いです。

彌 叡
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どの位 [生き方]

 沢山の人が居て迷惑を掛けたり掛けられたりしながら生きていくのが人生です。この考え方は何処から出たのでしょうね。仏教的なのか昔の儒教を深く学んだ賢人の言葉の伝来か、日本独自の謙虚な生き方を示す言葉の一つとして「人様に迷惑を掛けられない」を人々が一様に口にします。人間生きていてだけであらゆるものに迷惑を掛けて居るわけだけど、殊更にその言葉が使われるのは、何かしらきっかけが有ったのだろうと思います。確かに成長して自立してからは自分も他人様も大事に考えて生きていくのが当然ですね。…ここまで考えて反省です。年齢が増すごとに気短になっている自分も無意識に誰かに迷惑を掛けているかも知れない。この頃潔癖になっていて、汚いこと杜撰な事を見ると心が穏やかで無くなるから怖い目になったりしているかも知れない、絶対に口には出さないようにしているけど。何かひとつ気になる物を見つけるとその原点を知りたくなるのは昔からの性格です。

彌 叡
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親って [独り言]

 10ヶ月お腹で育て苦痛と共に生み幼稚園だ学校だ受験だを経て成人する子供達、自立してからは子供次第、親が育てた手腕の結果が現れます。大抵の親は希望した老後を送れないのではないでしょうか。あの二十数年の頑張りが報われる事なんて、ほぼ考えるだけ無駄、子供にはそれなりの生活や人生があるのですから順番に生きていくと云うことで冷静に見た方が心安まるかしら?親って次を生み出すだけの役目とは思いたくないけど両方が相手に期待するのは余り賢くないかも知れません。でも過去を考えたら空しくなるのも当然ですね。それでも親も子も、素直で温かい心で居れば静かに暮らせるかも知れません。要は人間性かな!?。

$Adept・Mentor 島津成晃の独り言-banner

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美味しいもの [心と身体]

 何が美味しいって空腹時の白いご飯ほど物は有りません。パラパラとお塩を振るだけで大袈裟に言えば生きていて良かったという気持になります。でも最近ではそんな事も少なくて、たまには黙って黙々と箸を口に運ぶなどていう申し訳ない事をしたりします。コロナ災禍がが空気を重くして居るのも確かに一因ですね。情け無い!何かの世情変化は常にあること、ひきづられてはいけませんね。動かないのは内臓も動かないのだからまずは座っていないことですね。若い人は否定するけどオンラインなどで体が鈍ってとの話も聞きます。体操を致しましょう。きっと良い感じになります。白いご飯だけでも良いと云うほどお腹が空いて来るかも。天から頂く食べ物、美味しく有難く頂きましょう。全部私個人への戒めです。

彌 叡
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起承転結 [独り言]

 ある方からお手紙を戴きました。この頃は便箋を使ったお手紙はあまり書かないようで、スマホですね。紙の本が売れないという話も聞きます。何でもコンピューターで間に合うからペンを取って字を書くのは面倒になっているのでしょうか。戴いた手紙は、時候の挨拶から用件最期の相手を慮った言葉まで、起承転結がさり気なくキチンと整った温かい手紙でした。とても嬉しいです。最近は略語のような言葉が多く、一例としては難しいをムズいなんて云うらしく日本語は何処にいったの?と云いたい気分ですが、今日のお手紙はホッと安心でした。お若いのにとその方の生き方が見える想いです。頑なではない正しさは良いですね。古いと言われようが私は真っ当な事が好きです。それに字を書いている習慣は文字を忘れないという利点もあるようです。良い手紙を戴きました。

彌 叡
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尊敬 [生き方]

 最近の投書欄で涙が止まらない感動が有りました。亡くなられた父上の看病を長い間なさり見送られた方だけれど、「大変だったけれど病気と最期まで闘いながら笑顔を絶やさなかった父を私は尊敬しています。」との発言が有りました。苦痛は並大抵のものではないはず、それを上回る家族への感謝を動かなくなった躰の唯一動く顔で笑顔を見せられたその方の必死が伝わりました。尊敬する親が居ると言うこと、又いえるという親子関係、この節久しく聞けない言葉でした。自分は子に尊敬される存在価値が有るのか忸怩たる想いに悔やみます。
後で悔やむから後悔と云うのですが、一生懸命生きても完璧と云うことはありませんよね。自分の価値観で生きても子に伝えるには未熟な物が多々有ると思います。ただ一瞬でも凄いと子に感じさせることが有ったら一生懸命生きている証かも知れませんね。子は親の背を見て言動を見て育つのですから常に自分を見ないといけないですね。責任重大です。

彌 叡
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