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食事 [生き方]

 毎日の食事は楽しくと言うのが私が育った家のルールでした。何せ兄弟姉妹が多いので母も何かひとつ守らせないと、お喋りや食器の音、おかわりーの声の合唱でスムーズに食事が終わらなかったからでしょう。大人数だから夕食はとても楽しかったので、1人が話をしているときは他の者は黙って聞くこと、差し出口はしないと言うルールを皆が従いました。食べながら愚痴はこぼさない、お皿のぶつかる音は気を付ける、大人数だから上下があって無意識に兄たちとルールを自然に覚えたように思います。今も食事は楽しくしたいと思っています。人数が少ない今は大皿から取り分けるおかずの他に、箸休めのような小皿がひとつあると、ああ家の夕食だと気持が和みますね。ふっと作る人の気遣いを感じます。食事は楽しくが一番です。云いたい愚痴も半減しますよ。

彌 叡
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虚栄心 [生き方]

 人間すべて虚栄心は些かでも持っていると思います。そんな物持つ環境じゃないと思うでしよ?私もそう考えていたけれど、着飾った人が自慢したり自分の家が豊かなんだと見栄を張ったりする大人げない虚栄心ではなく、自己を深く学んで人に評価させたいと頑張るのも筋肉を鍛えて人に驚いて欲しいと思うのも、皆根元は同じ発想じゃないかしら。学びも鍛えも自分で評価すれば充分満足なのに他人に見せたい、驚かせたいーって。虚栄心みたいな薄っぺらなものじゃないと言うでしょうが、これは人間の本能だからムキに否定しなくても良いと思うのですが。クールに考えたら人間その本能に支えられている部分もあると思いますから。と言う私も、何一つ困っている事は無いよと言う顔をしているけれど、これは周りに居るもの達への気遣いもあっての虚栄心でしょうか。自分に自信を持つために重い虚栄心を賢く持つのも良いと思います。

彌 叡
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年代に出来ること [生き方]

 私は今とても悔やんで居る。がむしゃらに一生懸命生きてきた自負は有るけれど,この三十代にこのことをやり遂げようとか,五十代にこんな人間にとかと言う計画的な希望を持たなかった、余裕が無かったと言うのは弁解,賢くなかったのです。今年を重ねて,馬鹿だったなあと,あの時違う選択をとっていたら今の私よりずっと楽しい日が有ったかも知れない。昔の諺に、後悔先に立たずと言う言葉がありますね。将来後悔しないように今若い方に言いたいと最近よく思います。自分を顧みてのアドバイスです。

彌 叡
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喜劇 [生き方]

 嘗て、ドタバタ喜劇の役者としか認識していなかった人が亡くなられる前、インタビューに答えておられる姿を見ました。驚きました。その学識、言葉遣いの正確さに加えて社会においての常識などを深く身につけた方でした。ご家庭も質実に父親を尊敬する子供と控えめな妻が居て、私が見ていた舞台のドタバタ役者は表面と中味の違いを感じさせました。聞けば多くの役者は家庭を大切にして堅実な生活を送って居らると言う。その昔、お酒も女遊びも芸の肥やし等と言われていた時代とは全然違う世界らしい。確かに大学卒の青年達が漫才界にどんどん入る世の中、知らないことが沢山出て来ました。然し先に書いた芸人さんのような信念もあり学んで身につけただけではない本当の知識人にはまだまだ遠い若手たちだと思います。人間、表面だけで人を判断してはいけませんね。

彌 叡
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どの位 [生き方]

 沢山の人が居て迷惑を掛けたり掛けられたりしながら生きていくのが人生です。この考え方は何処から出たのでしょうね。仏教的なのか昔の儒教を深く学んだ賢人の言葉の伝来か、日本独自の謙虚な生き方を示す言葉の一つとして「人様に迷惑を掛けられない」を人々が一様に口にします。人間生きていてだけであらゆるものに迷惑を掛けて居るわけだけど、殊更にその言葉が使われるのは、何かしらきっかけが有ったのだろうと思います。確かに成長して自立してからは自分も他人様も大事に考えて生きていくのが当然ですね。…ここまで考えて反省です。年齢が増すごとに気短になっている自分も無意識に誰かに迷惑を掛けているかも知れない。この頃潔癖になっていて、汚いこと杜撰な事を見ると心が穏やかで無くなるから怖い目になったりしているかも知れない、絶対に口には出さないようにしているけど。何かひとつ気になる物を見つけるとその原点を知りたくなるのは昔からの性格です。

彌 叡
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尊敬 [生き方]

 最近の投書欄で涙が止まらない感動が有りました。亡くなられた父上の看病を長い間なさり見送られた方だけれど、「大変だったけれど病気と最期まで闘いながら笑顔を絶やさなかった父を私は尊敬しています。」との発言が有りました。苦痛は並大抵のものではないはず、それを上回る家族への感謝を動かなくなった躰の唯一動く顔で笑顔を見せられたその方の必死が伝わりました。尊敬する親が居ると言うこと、又いえるという親子関係、この節久しく聞けない言葉でした。自分は子に尊敬される存在価値が有るのか忸怩たる想いに悔やみます。
後で悔やむから後悔と云うのですが、一生懸命生きても完璧と云うことはありませんよね。自分の価値観で生きても子に伝えるには未熟な物が多々有ると思います。ただ一瞬でも凄いと子に感じさせることが有ったら一生懸命生きている証かも知れませんね。子は親の背を見て言動を見て育つのですから常に自分を見ないといけないですね。責任重大です。

彌 叡
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目標 [生き方]

 五月一日新しい月が始まりました。4月一日はエイプリルフールだったことも有って、新年度の誓いもその一ヶ月もしっかりしませんでした。あくまでも私個人の想いです。昨夜独りで考えていてこの半年は本来の自分ではなかったと実感したのです。良い年をして何を迷っていたのだろうと、些か自信喪失です。落ち着いて考えれば自分の考えも及ばなかったアクシデントに戸惑っただけの事、大したことでは無かったのに…人間困ったものですね。五月一日今日から本来の私島津弥叡です。生来躰の中にある柔らかい鋼が矢張り私を支えてくれました。ひとつ未だに解らないことは悩んだとき困ったとき必ず道を開いて下さる方が居られた私の人生、その方がどういう方なのか解らないこと、生きて来たこと、静かな晩年を送れていること、神か佛か御先祖か、はたまたーと考えても仕方が無い有難い不思議を今更に思います。どなたにもそう言う存在があるのではないかしら。とにもかくにも今日はおついたちです。

彌 叡
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有り難いです [生き方]

 2年前エッセイを出版した水曜社から朝日新聞が送られてきました。何ごと?と広げてみたら、もう2年も経つのに再び広告を掲載して下さった新聞でした。それも一面に。この所コロナのニュースばかりで楽しい事など何も無いと感じていたけれど、突然の朗報でした。又力を入れてくださるそうな!あの出版した後何枚かの読者からの手紙が出版社着付けで戴いたけれど、皆お年を召した方達でした。新潟からの92歳と言う男性の方の文章には感動しましたし有難く恐縮しました。病気や不満や希望のなさから来る愚痴の多い友人知人を励ますつもりがあったのだけれど予想以上に深く読んで下さった方々にお礼を申し上げたいと思っています。出版社の方針は素人には解らないけれど又何人かの方に読んで頂けたら嬉しいと思います。思いがけないお知らせに少し嬉しい。矢張り人間は社会で御世話になって生きているのですね。

彌 叡
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多摩の桜 [生き方]

 予定通り乞田川の桜は満開でした。上流から何処まであるのだろう、両岸に見事に咲いた桜並木、昔を思い出して観に行って本当に良かった!人もそれほど多くなくて、川縁の石に腰を掛け、緩い流れに泳いでいる鴨を眺めていると気持も穏やかに緩んで来るみたい。お年を召した三人連れが居ました。待ち合わせて花見に来た友人達ですって。それに手をつないで花をクンクン嗅いでいた高齢のご夫婦も居て何だかとても良い感じでした。私も桜の薫りを訪ねた1人だから気持がよく分かります。ああ、あの子を誘えば良かったなと言う思いもあるけど、ゆっくりと自分を寛がせるには矢張り独りで良かったのかも。まる3時間ほども居て帰りましたが本当に良い花見をしました。元気だから往復2時間の電車も苦にならない、今日歩いたのは9384歩、有難いです。だから又これから日課の体操を致します。今日は亡姉の祥月命日、その時間に祈ろうと思います。

彌 叡
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ノーマル [生き方]

 この所コロナウイルスの影響ばかりではないと思うけれど、妄想作意自己顕示がはびこっていて、何が真実なのかを冷静に判断しないと自分までが巻き込まれそうになる。自分が素直なほど信じてしまうから気がついたら驚く事態になっていたりするから気を付けねばと時代の変化に怖れさえ感じてしまいます。自分の鈍さだけではなくて周りに惑う人達が増えたら何が正しいのかも解らなくなるかも知れませんから。でも個人のつきあいはノーマルでいたいし本音で居たい。と言いながら策に引っかかったりしてしまったりして私は、この所自分を顧みながらノーマルに生きたいと願っています。人の作意を感じたときの寒い想いは負でしかありませんから。素直に明るくノーマルで居たいですね。

彌 叡
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