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お花見 [独り言]

 雨が続いたり、体調を崩したり、野暮用が入ったりして、今年のお花見は、テレビかなと思っていましたが、パッと良い日が訪れました。何処にでも一緒に行ってくれる私が唯一信頼している人とお花見に出掛けます。真面目だけどユーモアも通じるし感性が豊かだから美しいものへの反応がとてもデリケート、安心です。九十五年も生きていると、沢山の方にお会いしていますが、社会にいると何処かで気を遣っていますよね。気遣わず、自分も深い信頼を得る生き方が出来る人生でありたいと思っています。だから、このお花見は、楽しさ100倍です。何人かそんな人に囲まれて、独りの寂しさより幸せかも知れません。良い天気になりますように。

彌 叡
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人としての美しさ [独り言]

 私は、普通にだらしないのが好きではありません。それと、ガサツな神経の鈍いのが駄目ですね。何故なら、汚いのとキレイなの区別が判断出来ないからだらしなく片づけられないのですら。ガサツで何をするのもガチャガチャ音がするのは手が不器用なのか、神経が鈍感だから気にならないのでしょうか。よく陶器が割れたりお皿がかける人に多いかも知れませんし、第一美しくありませんよね。いずれにしても私が好きではないのは、ご本人が美しく見えない場面です。人間像としたらどうなのでしょうか。提言の1つ、男女皆一緒だけど、殊に女性はお顔だけではなく美しいのが良いなと申したいですが、又々時代だよと言われるでしょうか?時代に拘わらず良いことは変わらないと思っています。

彌 叡
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銀座 [独り言]

 どうにか雨が止んだので、兼ねて気になっていた仕事を片付ける為に出掛けました。新宿で間に合うと思ったのに思惑は外れ銀座に出掛けてしまいましたが、案外これは良い結果を生み、朝から勝れなかった体調も穏やかに帰れました。一般的には代わってやってくれる者が居て、片づけてくれるものだと言うでしょうけどね。もう自分で調えると全てを人に頼らないと決めているから、出先で何があっても自分で処理すると決めていますが時には寂しさも無いことは無い。昭和の人間は我慢を知っているからと言いますが、他人様に甘えていた頃を懐かしく、申し訳なく思います。さて用を済ませて眺めた銀座は新しくたったビルも多く?もあるけど矢張り良い!暫く三越と松屋の間で眺めました。外人客の多いこと。木村屋でパンを買おうと思ったけど、外人客でいっぱいで諦めました。だって、彼らは大きいから。朝の不調は何とか治まり帰宅して何かホッとした次第。今日は、お不動様のご縁日、力を頂きましょう。

彌 叡
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時が経つ [独り言]

 1年ぶりに歌の教室に行きました。事務的な事で会ったのだけれど、誘われて、歌っちゃいました。皆が一人ひとり声を掛けてくれるので、つい1年も歌っていない不安もありましたが。矢張り楽しい、大口をあけて歌うから呼吸が自然に楽になったみたいで、良い感じでした。先生の逝去で、英国留学で知り合って以来30年の付き合いと言うピアニストが心配したけど、どうやら立ち直られたようで、涙を流しながらしっかり手を握ってくれて安心!大体が生徒は皆、高齢者、ある程度は感じて居ましたが、親しかった人の訃報を伺うと、自分が体調を崩していた間の変化に、時の流れが身に沁みます。気持を明るく元気で笑わなくちゃ!皆高齢にナルのだから。でも色々解って良かったです。何も聞かないと何も判断出来なくなるから、矢張り心に刺激は常に必要ですね。だけど、みんな年を取ったなあヤレヤレ!!

彌 叡
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お寺 [独り言]

 今日は、春御彼岸の中日、朝、神前仏前を調えながら、ふと菩提寺の大黒さんを思い出しました。つまり、ご住職の奥様です。古い寺で、私がよく知っているご住職は、もう三代ぐらい前の方、穏やかな奥様だったけど、いざご法事があると目の回るような沢山の仕事を鮮やかにさばいて御自分はとても控え目に見える、あれは1つの技にさえ見える動きでした。ご縁のある京都の聖護院のだいこくさんも良くそう感じて私は、尊敬していたものでした。数年前久し振りに伺った折、あの方は彼岸に渡られて、ご子息の奥様がお母様と同じ動きに感じられて、門跡寺院の風格を強く感じたものでした。時代の変化に関係なく、残っていくものは心をひかれますね。今日は、御先祖様の御供養です。優しい礼節と想いを以て手を合わせたいと思います。

彌 叡
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出会い [独り言]

 三年前の私のブログ等、お読みになっていたとしてもお忘れと思いながら、書きたくなった出会い。三年前経堂駅構内で、「私は、八十五才よ」と大声で長生き自慢をする高齢者につかまり、何度も年齢を聞かれるので、つい、私は、九十三才と言ったらどうやらプライドを傷つけらしく、お元気が無くなって、しまったと思ったのですが。その方に会ったのですよ。又駅で。エレベーターで私の横に居た人が、私八十八才よとおっしゃったのですよ。あ、と気付きました。あちらは全然お忘れらしい。前の記憶が甦って早く改札に往こうとしたけど、あなたは何歳?とおっしゃるものだから、再び、私は、九十五ですよと言っちゃったら、又静かになられて。又、皆が褒める自慢を私が傷つけたかなと思ったのと、これは何のご縁?と思ったりして。でも三年前と同じくお元気そうで良かったと、何か嬉しくも有りの出来事でした。人生色々有りですね。

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侍ジャパン [独り言]

 それほど詳しくも無く、ファンと言うほど好きなスポーツでも無いのですが、私の三番目の兄が早稲田で野球をやっていたのを知っているので、興味が無いわけでもありません。流石に今年はテレビや朝刊の報道にひかれています。大谷もたっちゃんも覚えましたし、二刀流も驚いてしまいます。矢張り私は、根っからの日本人、一寸態勢が可笑しくなると、わーっとテレビを消して、自分に関係ないのにと又スイッチを点けたりして、笑いますね。侍ジャパン、いつの間にか応援しています。単純な一人の日本人であります。

彌 叡
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シルク [独り言]

 日本人の郷愁かも知れない。絹はその昔から目の前に有りながら何となく貴重な存在でした。二十八才で亡くなった長姉が1枚のハンカチーフを大切にしていましたが、それが紅花で染めた絹の布でした。どなたに頂いたのか、誰も聞かず、ずーっと姉とそのハンカチーフは1つのイメージでした。私は、成人してハンカチーフどころか洋服も下着もシルクが近くにあるけど、それとは別にあのハンカチーフはただ1つの憧れみたいに残っています。軽くて意外に丈夫で私は、大好きですね。古い時代の郷愁かも知れませんが。そう言えば紅花で染められた絹の反物を、当時の皇后様がお気に召して柔らかい色調の布を選ばれたことがあったとか。これからもシルクのイメージは、私にとっては何よりのイメージかもつい昔を思い出しました。。

彌 叡
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辛い日

 11日、午後二時四六分。あの震災を偲んで手を合わせました。不明の方々が見つかりますようにとただ祈るだけです。地籟ですよね。昔のことを思い出しました。第二次大戦中私たちは学徒動員で海軍工廠で働きました。皆がまだ十七才、女子高生、明けて三月、そこで卒業式が行われました。歌う歌は、海ゆかば、蛍の光は敵国の歌と言われ学校最後の歌は海ゆかばでした。あんな小娘が戦争になんのお役にたったのでしょう。1年後帰郷した直ぐ後に終戦、それから学力不足を補う補習は、終戦で俄然張り切りだした教師にいじめられましたね。あの数年間は辛かった。昨日手を合わせながら、人生には身内の別れとか色々辛いことが沢山有るけれど、戦争中のこと、津波被害のことは体に染みこんで消えません。この想いに生きている限り辛さが付いて往くのかな。私に出来ることは祈るだけです。ね。

彌 叡
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12年前 [独り言]

 12年前の今日、東北の大地震で津波被害が凄く、未だに復興しない地方がまだまだあると聞きます。仙台に住む娘の夫婦の家も色々被害を受けたけれど、怪我もなく一時は娘婿と連絡が取れず心配したけど二日目に無事が解ってホッとしたことなど思い出します。大変な災難でした。想いだけで何も出来ない。ただ早く復興しますように、まだ不明と聞く方々が見つかりますようにと手を合わせて祈るだけです。今日午後二時四十六分に、あの日を思って祈ります。国民の一人として云えば、12年もたって何故復興できないのと文句は沢山有るけれど言っても儚いこと、ただ祈ります。そして過去の辛かった第二次大戦と同じく一生忘れません。

彌 叡
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